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どんなコミュニケーションが「納得」の医療のために必要なのか?
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     (しろうジャーナルNO.29 2011年1月15日 配信)


    北海道・手稲渓仁会病院小児NIVセンター長 土畠智幸先生より
    NIVとはNoninvasive ventilationの略で,日本語では「非侵襲的換気療法」。)

    「非侵襲的」というのは、身体に傷をつけたり管を入れたりといったことをしない、という意味。

    気管内挿管や気管切開と違い、NIVでは鼻にマスクをつけてそこから空気を送り込む。従来の方法と違い,身体的な負担が少ないということで成人患者には多く普及しているが、
    小児の場合はサイズが合うマスクや呼吸器が少なく、まだあまり普及はしていない。

    手稲渓仁会病院では、2006年から使用開始したところ、患者さんに多くのメリットがあることがわかり、2008年にNIVセンターおよび専門の医療チームが土畠先生を中心として開設された。

    ちなみに学生結婚されたという奥様も、同じ医局に勤務されている小児科医。

    現在34歳の先生は、3人の娘さんのパパでもある。

     

    先生は現在、訪問診療にも力を注がれているが、きっかけは受け持っていた重度の障害のある一人のお子さん。

    その患者さんは、昼夜呼吸器をつけなければいけない状態だったが、それでもお母さんはお子さんを在宅で看ることを望まれた。

    心配だったので、往診を申し出て診察に行ったが、病院の中で診察しているのと勝手が違い、最初は戸惑った。

    病院だと患者さんに対して「今日はどうしましたか?」と問えるが、訪問診療だとどう声をかけていいのかわからない。

    最初は何を話したらよいのか困ることもあったが、日を追うごとに変化があった。

    (患者さんの)お母さんのほうが積極的にイニシアティブを取って話してくれるようになってきた。

    病院の診察室の中では聞けなかった「本音」を話してくれるようになった。


    そして、これが本来あるべき医療の姿だと、考えるようになった。

     

    重度の障害を持つ患者さんのお母さんは、とても不安が強い。

    「元気に産んであげることができなかった。」という罪悪感を抱えている人も多い。

    あるとき、そんなお母さん同士が互いに交流できるようになればいいと、一つの試みを始めた。

    最初は同じ病状の子どもを持つ患者さんの診察時間をわざと合わせて、お母さん同士が自然に交流できるようにした。

    その後、患者家族交流会を開いたところ、120人が集まった。患者さんは呼吸器がついているため24時間目を離すことができない。

    最初の年は、地域の学生やボランティアで患者さんをみたが、翌年からは患者さん全員を病院で預かり、
    お母さん達にはレストランでフランス料理を楽しんでもらうという企画を実行した。この企画はそれから毎年続けている。

     

     

    現在、土畠先生は北海道大学公共政策大学院に通う大学院生でもある。
    そのきっかけとなったいくつかの出来事がある。

    ◆「未熟児たらいまわし事件」


    2007
    年、札幌で妊娠27週の女性が早産し、自宅で未熟児(約1300グラム)の赤ちゃんが生まれた。

    女性は定期健診を受けていたが、かかりつけの病院は受け入れる設備がなかったため、救急車で搬送されることになった。

    しかし、市内の病院はいずれも「NICUが満床、担当医が別の患者を治療中」などで、計7か所の施設に受け入れを断られた。

    最終的に1時間40分後に手稲渓仁会病院で受け入れ、蘇生処置を行ったが、すでに心肺停止状態にあったこの赤ちゃんは10日後に死亡した。

    受け入れを受諾し、蘇生処置を行ったのが、土畠先生。

    赤ちゃんが亡くなった後、お母さんに「もしも今回のことに納得がいかなければ、どこかでお話(公表)されてもいいですよ。」と話したが、「一生懸命治療して下さったのでいいです。」と言われた。

    話が公に出たのは、それから1年も過ぎてから。「なぜ、こんなことになったのか?なぜNICUのない病院が受け入れたのか?」さまざまな議論が起こった。

    救急隊:「赤ちゃんをいち早く病院へ運びたかった」


    断った病院:「受け入れたくても、受け入れられる体制ではなかった」


    医学的には「28週であれば、NICUのある施設でなければだめ。」

    「悪いのはだれ?」「どうすればよかったか?」→医療者側が考える「べスト」と一般市民の目線で見た「ベスト」に乖離があると思った。

     

     

    ◆研修医のコミュニケーションに関わる問題


    先生は小児科医の教育担当もされている。

    そこで、研修医のコミュニケーション不足を実感することが多い。

    患者の家族や、看護師等周りのスタッフとうまくコミュニケーションを取ることができない。6年間医学のみを学ぶ教育、目の前に倒れている人がいたらどうするか、は学んでいても、倒れている人が複数の場合はどうするか、ということは学ばない。

    「この人はすぐ診ましょう。あの人は後でも大丈夫。この人はあなたが診てね。」

    全体を視野に入れて、複数の医療者とコミュニケーションを取りながら、複数の患者を診る、という術を学んでいない。


    また、「社会のベスト」と「医学のベスト」がずれている。医学とは「医学的な合理性」(科学)を追求すること。


    例えば、患者さんの「お腹が痛い」という症状を、知識を使って考える、医学的な言葉に翻訳して、医学的にはどういうことなのかということを突きとめる。

    しかし、患者側が求めていることは、「医学的な合理性」だけではない。


    「医学的には必要じゃないですよ。お母さん。」と言われても、「医学的にじゃなくて、うちの子にとってどうなのか?」ということが最も知りたいこと。

    つまり、それは、「生活者としての現実」。


    本当は医師がそのバランスを取ってさまざまな判断を下さないとならないのに、教わってないからわからない。


    「医学的には必要ないけど、以前使ったときにこうだったから、(この薬を)使った方がいい。」と説明できるかどうか?患者側がその医師の説明に納得できるかどうか。

    「医学的にいちばんベスト」=「患者側もいちばん納得」ではない。


    目指すのは、「医学的妥当性」。医療の中から生活者としての妥当性を見つけること。


    「一般的にこれがベスト」ということではなく、「この子の治療にはこれがベスト」ということ。

     

     

    ◆そもそもなぜ医療者側と患者側に軋轢が生じて来たのか?その溝はなぜ埋まらないのか?


    ・双方がうまくコミュニケーションが取れない。


    ・医師側の知識が足りない。


    ・その医師と長期的に関わりたい、という気持ちがない。


    ・診察室に入るだけで緊張する。壁を感じる。


    ・医療という「聖域」にいる医師。その「聖域」は要塞のような壁で囲まれているイメージ。


    ・「お医者“様”」


    医師は医学的な合理性だけを追求。

    医療者にとって最も合理的でないもの=「死」を避けたい。


    それが最も大切なことだと思っている。

    しかし、死ぬということは生きることの対極にあるのではなく、死も含めて「生きる」ということではないか?


    「延命治療」=「命を救う」ということではない。


    例えば「緩和ケア」・・死ぬことが前提。

    死を避けることを目的としていない。それを踏まえたうえで、どのように患者と向き合うのか。


    また、医師ひとりひとり自分なりの方針・ポリシー・哲学を持っているが、普段はそれをオープンにすることはないし、
    そもそも大きな組織の中にいれば、全ての事柄は権力差で決まってしまう。

    つまり、医療の世界の中でも実際にはお互いにコミュニケーションが取れていない。

    しかし、医療という聖域にいれば不安を感じまいとすることができる。

    自分達だけが理解できる言葉、自分達だけが共有する納得によって。


    その場所を壊されたくない。出るのが怖い。

    皆、表面的には同じような意見で同じような立場で「守られている」。

    居心地がいい。

     

    「モンスターペイシェントント」

    その聖なる領域を破壊しかねない存在。

    それを防ごうとする人たちが、「あれは怪物だ、ということにしてしまおう。」
    なぜなら、自分達に理解できない概念・わからない存在は不安だから。


    名前をつけることによって、名前を共有することによって、その存在がわかったような感覚になって安心することができるから。

    そして、その「怪物」を排除することで「聖域」を守ろうとする。


    でも、実際は「モンスター」とかではなくて、不安がある、わからないから、医療者に向けて「どうしてですか?」と疑問を投げかけているだけかもしれない。

    そして、医療者側から医学的かどうかは別にして、市民側へ近づいてきて「関心」を示し、「わかりました。あなたのことを聞かせてください。」

    「何が心配ですか?」と言われたら、安心することができるかもしれない。

     

     

    ◆医療者と市民がよりよい関係を築いていくためには


    医療者と市民が、互いに関心を持って、互いに不安をもっている存在だということを前提にしてコミュニケーションを取っていくことが大事。


    また、患者から信頼を得ることができる医師とは・・・

     

    ‐霾鷂開

     

    関心 「AからEの選択肢があるけど、あなたにはBが一番いいと思う。」

     インフォームドコンセント・・「AからEの選択肢があります。どれがいいか選んで下さい」ではない。

    考えうる治療方法を示したうえで、医学的かつその人にあったプランを提示できるかどうか。・

     

    MΦぁ屬海譴鮓世辰燭藉擬圓気鵑砲匹思われるかわからない。」

    「それでもやはり言わなければ。」

     「最期はどうしたいですか?」ということも聞かなければならないときがある。

     

     銑をひと言でまとめると、「誠実さ」と言い換えられるかもしれない。


    例えば、患者さんが亡くなった後も関わる。

    従来は医療とは死を避けるために行われるものであったから、医師が患者の葬式に行くことは禁忌とされていた。


    先生は、患者さんの家族とは亡くなった後も知り合いだから、お葬式にも行くし、その後も訪問して家族と思い出話をしたりもする。


    「忘れたくない。忘れて欲しくない」と患者さんの家族も思っているから。

    そして、患者側も医師に対して誠実でないとうまくいかない。


    患者も医師に対して思っていることをストレートに伝えてほしい。

    また、医師がもしうろたえたとしても、少し待ってあげて。


    「先生、はっきり言いますが、私はこうしたい。」「先生、はっきり言ってください。」

     

     

     

    ◆訪問診療を通して見えてきたこと

    物理的にも白衣を脱いだことにより、医学の立場から一生活者へ。市民の側から物事を考えられるようになった。


    また一方で今までとは違った精神的なつらさが増してくることもあった。


    先生は、当初、在宅医療の受け持ちの患者さん全てに自分の携帯番号を伝えていた。

    NIVは特殊な治療法のため、患者さんが急変した時に、自分でないとうまく対処できないかもしれないと。


    しかし、30名を超えたあたりで限界を感じるようになってきた。毎晩いつ電話がかかってくるかわからない。


    「今から救急で行きます。」と言われれば、自分も駆け付けざるを得ない。

    しかし、自分が倒れたらどうなるか?


    そもそも、障害を持ち、このような治療をしている患者の親は、担当医が代わるのを好まない。


    転勤になった医師について、何十キロも離れた病院に通うケースもある。


    そこで、逆に考えた。

    自分がいなくてもこの地域のこの分野の医療がまわっていくようにしなければ、と。


    そこで、大学院へ通うことを決め、患者の親同士の交流会の日、最初の挨拶でその話をした。


    「これからは大学院へも通うので、今までのようにいつも自分が対処できないかもしれません。
    でも、他の先生にも入ってもらって、皆さんが困ることのないようにします。」と。


    場内はざわめいた。「信じていたのに見捨てられた。」みんなそう思っているかもしれない、と思い、席を立って会場を後にした。


    あとで話を聞いた。お母さん達は先生の言葉を受け止め、話し合っていた。


    「自分たちでできることは自分たちでしないといけないね。」等々。

    見捨てられた、と思った人は誰もいなかった。


    先生は、自分は本当はお母さん達を信頼しきれてなかったのだと思った。



    患者と医師との信頼関係。いいことばかりではなく、思ったことをズバッと言える関係。

     

    現在の小児NIVセンター・・

    ・当直明けは休み。


    ・通常の医師(研修医も含む)は週1回休み。指導医になると週2回に。

    そうすることで、「自分も早く指導医になりたい。」と、そう思える職場の環境作りが大事。

     

    自分も何人もの研修医を訪問診療に同行させる。

    →「楽しそうですね。もっと重苦しい雰囲気かと思っていました。」

    →在宅医療をやりたい、という医師の増加につながる。

     

    医師も楽しいと思えないと続かない。そして、自分がいついなくなっても、この地域の医療が問題なく機能していく仕組みづくり。

     

     

    ◆佐山先生とのやりとりから(同じ小児科医として)


    ・医療拒否の親に対して(ホメオパシー信仰など)

    親がいわゆる「西洋医学」を否定しているから、子どもに医療を受けさせないというのは、間違っていると思う。


    子どもは親の所有物ではない。


    ただし、自分自身のことであれば、それは止められない。


    親自身が医療を受けない、ということは仕方のないこと。しかし、子どもには適切な医療を受ける権利がある。

     

     

    ◆阿真さん・会員とのやりとりより


    ・「私達の会の活動に否定的な医療者もいる」

     市民側から「ワーッ」と近づいてきて、「医学の世界の人達、守ってあげなきゃ。」という思い。

    「白衣をぬいで、砦から出て、聖域から出て・・・」

    自分の領域から出たくない医者もいる。


    私たちの行っている活動

    「医療のデモクラシー」・・自分たちのことを自分たちで決める


    自立性・権利・主権を主張

    一部の医療者から見れば「何で(専門家である)僕たちの言うことを
    聞かないの?」

    つまり見方を変えれば「モンスター」


    私たち

    「医者も生活者」「こちらに出てきて、ともに医療について話しましょう。」

    ここでもやはり大切なのは、お互いがお互いに関心を持つこと。

     

    ・お母さん達・医師・医療に携わる人達に向けて

    「コンビニ受診をやめましょうとは言っていない、言いたくない。」

    また一方的に、医師を守る、という活動でもない。

    「コンビニ受診」せざるを得ない、心の奥底にある不安を取り除きたい。

    そんな社会を変えていきたい。

    医療者とともに、医療の問題をより良くするために協力していきたい。

    (しろうジャーナルNO.29 2011年1月15日 配信)
     

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